「支那沿岸紀行」は、陸軍参謀本部の情報将校であり、後にシベリア単騎横断で名を馳せる福島安正と杉山直矢の執筆による肉筆稿本。二名は明治15年9月末から年末にかけ、上海〜南京、煙台〜天津〜北京と偵察旅行に出た。本書はその報告書である。

福島安正は嘉永5年、松本藩の下級藩士の長男として生まれた。明治10年に発生した西南戦争には、山県有朋の書記として従軍。山県が参謀本部を設立すると福島も陸軍中尉に登用され、得意の英語を生かして山県の秘書(伝令使)として諜報活動を行うようになった。

征韓論の高まりや台湾出兵、朝鮮で発生した江華島事件などにより東アジアの情勢を調査する必要に迫られた陸軍及び明治政府は、情報収集のために清国に将校を潜入させていた。福島も明治12年、約5ヶ月半にわたって清国に潜入。北京から蒙古を偵察し、得られた情報をもとに清国の軍備調査報告「隣邦兵備略」を編纂した。

明治15年8月、福島は杉山と共に再び清国への派遣が決定されるも、壬午軍乱の発生により急遽仁川に出張。約一ヶ月の朝鮮滞在の後帰国し、9月27日に当初の予定通り2回目の偵察旅行に旅立った。

「支那沿岸紀行」は4冊から成っている。「第一編」は9月27日に三菱汽船玄海丸に乗船し横浜を出発し、10月4日上海に到着。6日、長江を遡って南京に向かい、1日滞在の後上海に帰着。14日上海から山東省煙台への船に乗船するまで。

「第二編」は乗船翌日の10月15日から17日の煙台到着、約1ヶ月かけて陸路で登州・莱州・青州・蒼州を経て天津に到着するまでが記されている。

その後二名は天津から北京まで船で移動。北京で福島と杉山は別れたため、「第三編」は杉山のみの執筆となっている。北京滞在後、杉山は船で天津〜煙台〜上海〜寧波〜福州〜香港〜広東〜香港と渡った後帰国するが、上海に到着したところで終了している。校正が多数入っていることから、「第三編」は草稿の段階であると思われる。また下書き段階のものが35丁分ある。

もう一冊は附録「煙津沿道地誌」と題され、煙台〜天津の道程を地誌の形式でまとめたもの。

「第一編」は38丁。「第二編」は65丁。共に虫損あるも、文字の判読は可能。「第三編」は10丁で、下書き共に大きな虫損があり、文字の判読が難しい箇所が多数ある。「煙津沿道地誌」は67丁。少虫損あるが、文字にかかっている箇所は少ない。

本書は「支那沿岸紀行」と題されている通り、紀行文の形をとっている。二名の調査の目的の一つが清国の軍備の調査であり、兵備に関する記述が多い。清軍と遭遇したり練兵場を発見すると。その様子を詳細に記述。南京では器機局(武器製造所)に潜入し、中を見学する様子が描かれている。上海では軍艦を始め、停泊する艦船について取り上げられている。

また宿屋などで法外な値段を請求されることは一度ならず、下魏家という村では病気の家族がいる者に金を分け与えたり、濱州では洪水のため足止めされ舟で移動を余儀なくされるなど、道中のエピソードも興味深い。

本書は杉山直矢旧蔵。調べた限りでは公刊されておらず、陸軍内でも限られた人間しか目にできなかったことが想定される。後にシベリア横断で名を馳せる福島安正の若かりし頃の活動の記録であり、参謀本部の海外諜報活動の一端を知ることができる貴重な資料と言える。

「支那沿岸紀行」は、陸軍参謀本部の情報将校であり、後にシベリア単騎横断で名を馳せる福島安正と杉山直矢の執筆による肉筆稿本である。二名は明治15年9月末から年末にかけ、上海〜南京、煙台〜天津〜北京と偵察旅行に出た。本書はその報告書。

福島安正は嘉永5年、松本藩の下級藩士の長男として生まれた。明治10年に発生した西南戦争には、山県有朋の書記として従軍。山県が参謀本部を設立すると福島も陸軍中尉に登用され、得意の英語を生かして山県の秘書(伝令使)として諜報活動を行うようになった。

征韓論の高まりや台湾出兵、朝鮮で発生した江華島事件などにより東アジアの情勢を調査する必要に迫られた陸軍及び明治政府は、情報収集のために清国に将校を潜入させていた。福島も明治12年、約5ヶ月半にわたって清国に潜入。北京から蒙古を偵察し、得られた情報をもとに清国の軍備調査報告「隣邦兵備略」を編纂した。

明治15年8月、福島は杉山と共に再び清国への派遣が決定されるも、壬午軍乱の発生により急遽仁川に出張。約一ヶ月の朝鮮滞在の後帰国し、9月27日に当初の予定通り2回目の偵察旅行に旅立った。

「支那沿岸紀行」は4冊から成っている。「第一編」は9月27日に三菱汽船玄海丸に乗船し横浜を出発し、10月4日上海に到着。6日、長江を遡って南京に向かい、1日滞在の後上海に帰着。14日上海から山東省煙台への船に乗船するまで。

「第二編」は乗船翌日の10月15日から17日の煙台到着、約1ヶ月かけて陸路で登州・莱州・青州・蒼州を経て天津に到着するまでが記されている。

その後二名は天津から北京まで船で移動。北京で福島と杉山は別れたため、「第三編」は杉山のみの執筆となっている。北京滞在後、杉山は船で天津〜煙台〜上海〜寧波〜福州〜香港〜広東〜香港と渡った後帰国するが、上海に到着したところで終了している。校正が多数入っていることから、「第三編」は草稿の段階であると思われる。また下書き段階のものが35丁分ある。

もう一冊は附録「煙津沿道地誌」と題され、煙台〜天津の道程を地誌の形式でまとめたもの。

「第一編」は38丁。「第二編」は65丁。共に虫損あるも、文字の判読は可能。「第三編」は10丁で、下書き共に大きな虫損があり、文字の判読が難しい箇所が多数ある。「煙津沿道地誌」は67丁。少虫損あるが、文字にかかっている箇所は少ない。

本書は「支那沿岸紀行」と題されている通り、紀行文の形をとっている。二名の調査の目的の一つが清国の軍備の調査であり、兵備に関する記述が多い。清軍と遭遇したり練兵場を発見すると。その様子を詳細に記述。南京では器機局(武器製造所)に潜入し、中を見学する様子が描かれている。上海では軍艦を始め、停泊する艦船について取り上げられている。

また宿屋などで法外な値段を請求されることは一度ならず、下魏家という村では病気の家族がいる者に金を分け与えたり、濱州では洪水のため足止めされ舟で移動を余儀なくされるなど、道中のエピソードも興味深い。

本書は杉山直矢旧蔵。調べた限りでは公刊されておらず、陸軍内でも限られた人間しか目にできなかったことが想定される。後にシベリア横断で名を馳せる福島安正の若かりし頃の活動の記録であり、参謀本部の海外諜報活動の一端を知ることができる貴重な資料と言える。

「支那沿岸紀行」は、陸軍参謀本部の情報将校であり、後にシベリア単騎横断で名を馳せる福島安正と杉山直矢の執筆による肉筆稿本である。二名は明治15年9月末から年末にかけ、上海〜南京、煙台〜天津〜北京と偵察旅行に出た。本書はその報告書。

福島安正は嘉永5年、松本藩の下級藩士の長男として生まれた。明治10年に発生した西南戦争には、山県有朋の書記として従軍。山県が参謀本部を設立すると福島も陸軍中尉に登用され、得意の英語を生かして山県の秘書(伝令使)として諜報活動を行うようになった。

征韓論の高まりや台湾出兵、朝鮮で発生した江華島事件などにより東アジアの情勢を調査する必要に迫られた陸軍及び明治政府は、情報収集のために清国に将校を潜入させていた。福島も明治12年、約5ヶ月半にわたって清国に潜入。北京から蒙古を偵察し、得られた情報をもとに清国の軍備調査報告「隣邦兵備略」を編纂した。

明治15年8月、福島は杉山と共に再び清国への派遣が決定されるも、壬午軍乱の発生により急遽仁川に出張。約一ヶ月の朝鮮滞在の後帰国し、9月27日に当初の予定通り2回目の偵察旅行に旅立った。

「支那沿岸紀行」は4冊から成っている。「第一編」は9月27日に三菱汽船玄海丸に乗船し横浜を出発し、10月4日上海に到着。6日、長江を遡って南京に向かい、1日滞在の後上海に帰着。14日上海から山東省煙台への船に乗船するまで。

「第二編」は乗船翌日の10月15日から17日の煙台到着、約1ヶ月かけて陸路で登州・莱州・青州・蒼州を経て天津に到着するまでが記されている。

その後二名は天津から北京まで船で移動。北京で福島と杉山は別れたため、「第三編」は杉山のみの執筆となっている。北京滞在後、杉山は船で天津〜煙台〜上海〜寧波〜福州〜香港〜広東〜香港と渡った後帰国するが、上海に到着したところで終了している。校正が多数入っていることから、「第三編」は草稿の段階であると思われる。また下書き段階のものが35丁分ある。

もう一冊は附録「煙津沿道地誌」と題され、煙台〜天津の道程を地誌の形式でまとめたもの。

「第一編」は38丁。「第二編」は65丁。共に虫損あるも、文字の判読は可能。「第三編」は10丁で、下書き共に大きな虫損があり、文字の判読が難しい箇所が多数ある。「煙津沿道地誌」は67丁。少虫損あるが、文字にかかっている箇所は少ない。

本書は「支那沿岸紀行」と題されている通り、紀行文の形をとっている。二名の調査の目的の一つが清国の軍備の調査であり、兵備に関する記述が多い。清軍と遭遇したり練兵場を発見すると。その様子を詳細に記述。南京では器機局(武器製造所)に潜入し、中を見学する様子が描かれている。上海では軍艦を始め、停泊する艦船について取り上げられている。

また宿屋などで法外な値段を請求されることは一度ならず、下魏家という村では病気の家族がいる者に金を分け与えたり、濱州では洪水のため足止めされ舟で移動を余儀なくされるなど、道中のエピソードも興味深い。

本書は杉山直矢旧蔵。調べた限りでは公刊されておらず、陸軍内でも限られた人間しか目にできなかったことが想定される。後にシベリア横断で名を馳せる福島安正の若かりし頃の活動の記録であり、参謀本部の海外諜報活動の一端を知ることができる貴重な資料と言える。

支那沿岸紀行 4冊

¥756,000

杉山直矢 福島安正 明治16年

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