高村豊周は鋳金家。彫刻家高村光雲の三男で高村光太郎の弟。戦前は東京美術学校の教授を務め、工芸団体「无型」「実在工芸美術会」を結成、戦後は人間国宝に認定されるなど、戦前戦後を通して工芸界の指導的立場を担った。主な内容は下記の通り。

 「鋳金私記ノート 大正五年四月」(記述は数ページ分のみ)「青壺会第三回展覧会 目録」「実在工芸美術会 設立に際して」「実在工芸 1号」「実在工芸美術会第一回展覧会目録」「第一回展 売約控」「日録及び新聞スクラップノート」「会員への通知書類 約130点」「第四回 実在展チラシ」「和光会 パンフレット」「工芸美術作家協会 会報 1号」「輸出工芸 7号」「社団法人日本美術及工芸統制協会資料12点」「博展 60号」「新聞記事スクラップブック 昭和15年」「鋳金家協会 会報 7冊(重複あり)」「展示風景写真プリント 5枚(戦後)」「新聞記事スクラップブック(昭和37〜39年)」「東京美術学校校友会誌 豊周作短歌・執筆記事 スクラップブック」その他、豊周執筆記事の切り抜き・葉書・新聞記事の切り抜きなど。

 資料の中では実在工芸美術会に関する書類が多くを占めている。実在工芸美術会は、新興工芸運動として名高い无型を解散した二年後となる昭和10年に、「用即美」の工芸を目指して結成された。会員は无型時代から行動をともにする豊田勝秋、内藤春治、廣川松五郎らを中心とした11名で、昭和15年までに4回の大規模な公募展と2会の同人展を開催するなど精力的な活動を行った。

 「日録及び新聞スクラップノート」は、昭和10年9月30日に行われた第一回会合から昭和12年3月までの例会の記録と、実在工芸美術会に関する新聞記事が貼り付けられたノート。

 「第一回展 売約控」は作品ごとの価格・購入者氏名が記されている。

 「会員への通知書類 約130点」は、昭和11年から15年までの会員に対しての連絡事項や会計報告、展覧会報告などが含まれる。第三回展については日別の入場券売上、購入者のリストがまとめられている。また会全体の会計報告では展覧会費用の回収状況等も記録され、会員の苦しい懐事情が見て取れる。

 実在工芸美術会の会誌は1号のみの発行で、当時の記録で活動内容を知ることができるのは第二回展に際し刊行された報告書やいくつかの雑誌記事のみである。本資料は、実際に会がどのように運営されていたのかを記録する貴重な資料である。